つながり続けます!「ビン笛つながりプロジェクト」が東北応援の輪を拡げていく(インタビュー)

Category 取材

本記事では、東北応援コンサートや保養キャンプを主催している「ビン笛つながりプロジェクト」の活動についてご紹介します。

「ビン笛つながりプロジェクト」の主な活動

「ビン笛つながりプロジェクト」は、東北応援のためのコンサートを、東京近郊や宮城県・南三陸町で主催している団体です。コンサートの収益金は、支援団体を通じて現地へと届けられています。2011年から2015年までの支援金の総額は約165万円にのぼります。

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※出展:ビン笛つながりプロジェクト公式ページ
2015年の9月には宮城県登米市「手のひらに太陽の家」を借り切り、二泊三日の保養合宿(※1)「手のひらキャンプ」を主催。福島県在住の親子19名を招待(※2)しました。
※1:原発事故後の放射能の影響で外遊び等に心配がある福島在住の親子を招いて、思いっきり遊びリフレッシュしてもらおうという企画。
※2:参加費:大人 2,000円 子ども1,000円

「ビン笛つながりプロジェクト」の参加者は約50名。年齢も職業もバラバラです。
実質的なリーダーやルールなどの縛りがない中で、どのようにしてメンバー同士の意思統一を図りながらプロジェクトを進めているのか。「ビン笛つながりプロジェクト」の発起人である、「ビン笛合奏団 La(ラ)マーズ」(以下「Laマーズ」)の3人にお話を伺いました。

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※「ビン笛合奏団 Laマーズ」。左からサチさん、ナメコさん、リカさん。
2000年秋、東京高円寺にて結成の3人組。一升瓶からミニチュアボトルまで、ありとあらゆるガラスびんを楽器にして演奏する。童謡、クラシック、ジャズ、オリジナル曲、アニメテーマ曲その他アレンジ次第でどんな曲も演奏可能。2007年ハルモニア杯音楽コンクールで優勝、2008年日本クラウンよりCD「夢耳心地」でメジャーデビュー。2011年から「ちいさなことからはじめたい」を合言葉に、2015年から「ビン笛つながりプロジェクト~あっちこっちでがんばっぺ~」をタイトルに東北の応援を続けている。

「ビン笛つながりプロジェクト」の始まり

――最初に、「ビン笛つながりプロジェクト」が始まった経緯について教えていただけますか?

nameco-1-resize(ナメコ)「ビン笛つながりプロジェクト」という正式名称になったのは2015年1月です。東日本大震災以前は私たち3人で「ビン笛合奏団Laマーズ」として活動していましたが、震災をきっかけとして「現地のために自分たちに何ができるだろう?」という話し合いの場を持つようになりました。
その年の6月から、コンサートで支援金を集めるという東北支援の活動を始めました。

sachi-5-resize(サチ)その話し合いの場には私たち3人だけではなく、「ビン笛合奏団 Laマーズ」のコンサートに来てくれた方や、びんのリサイクル業界の知人、音楽スタジオを経営されている方や、私の劇団時代(※)の友人などが参加してくれました。十数人の人が集まってくれて、みんなで一緒に「今できること」を考えました。
※サチさんは1984年から11年間、「劇団風の子」で活動していた。

(ナメコ)「現地に音楽を届けたい」という気持ちもありましたが、震災直後は音楽が受け入れられるような状況ではありません。食べ物や洋服など、生活に直結するものの方が需要は当然高いですから。
それで、「音楽が必要とされる時機が来たら、その時に音楽を届けに行こう」という結論になりました。自分たちが音楽で現地に行けるようになるまでは、私たちの賛同する支援団体に、支援金として直接届けることにしたんです。

コンサートで支援金を集め、支援したい団体に渡す

――支援団体への支援金を集めるためにコンサートを開いたわけですね?

(ナメコ)そうです。それが東北支援の始まりです。

rika-4-resize(リカ)「ビン笛合奏団 Laマーズ」は、3人それぞれキャラクターが違って、得意分野も違います。ナメコさんは機械に強くて、サチさんは衣装とか舞台が得意。私は音楽、という風に。
分担作業もうまく行っていて、10周年(※3)を迎えることもできた。3人でやれることは全てやった、と感じていました。今後、活動の規模を広げていくのであれば3人ではムリなところまで来ているな、という認識はありました。
それで、「みんなと話そうよ。」という流れになったんです。
※3:Laマーズは2000年結成。東日本大震災の前年、2010年に結成10周年を迎えた。

――震災をきっかけとしてプロジェクトが動き始めたわけですね?

(リカ)自然な流れですけどね。東北応援活動はとても3人ではできません。

(サチ)支援金は、日本赤十字などの大きな団体に寄付しても、すぐには被災者に分配されません。
それで、自分たちで信頼できる団体を探して直接寄付しよう、っていう意識になりました。

――寄付したお金がちゃんと使われている、ということが分からないとイヤですよね。

(サチ)そうなんです。寄付したはいいけど、その後結局どうなったんだろう?というのはイヤでした。

(リカ)今回のコンサートで集まったお金はこの団体に送ります、ということを告知してコンサートを開いていました。

ボランティアは「うさんくさい」と思っていた

(ナメコ)私は以前は「ボランティア」というものに対して、一種の「うさんくささ」を感じていたんです。

(サチ)私も「ボランティア」に対しては、あまりいい印象がありませんでした。
でも「ボランティア」という言葉の意味をよく調べてみたら、「ボランティアとは、自主的な活動」ということが分かりました。

(リカ)自分の意志で「やる、やらない」を決めるのが「ボランティア」。「もうやめよう!」と思った時にいつでもやめられて、次回もやりたいと思えばやる。「ボランティアってそういうものなんだ。」という風に3人とも腑に落ちたんです。

「ほっ」とする音

bottles――そもそも、なぜびんで笛を吹こうと思ったんですか?

(サチ)私の劇団時代の先輩から「ビン笛をやらない?」って言われたのが始まりなんです。

(リカ)最初は6人いたんですけど、今は3人になっちゃいました(笑)。多い時は8人くらいいたんですよ。

(ナメコ)「ビン笛」は電気を使わないし、響きのある会場ならマイクもいらない。いわゆる「アンプラグド」(※4)な楽器です。
震災後は、「ビン笛で何かできるんじゃないのか?」という気持ちがずっとありました。
※4:unplugged=アンプやスピーカーを使わないこと。

(サチ)話し合いに集まってくれたみんなも、「現地にビン笛の音を届けたい」と言っていました。

(ナメコ)ビン笛の音は「癒し」になる音じゃないか、ということをみんなが言ってくれてたんです。

(リカ)ビン笛の「いきづかい(息遣い)」は、「生きる」とか「呼吸」とか、そういった言葉にもつながりますし。「ビン笛の音って、ほっとするよね」っていう意見もありました。

――空きびんの再利用はリサイクル活動にもつながりますしね。

震災後の現地を見て

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※出展:photo AC

(ナメコ)「本当なんだ」

――震災後、みなさんが現地に行った時の話を聞かせてもらえますか?

nameco-3-resize(ナメコ)会社の同僚が、震災から2週間後くらいに宮城県の登米市や南三陸町にボランティアに行ったんです。
彼(会社の同僚)が帰ってきた後、現地の写真を見せてくれたりして。
その後、震災から一か月ほどたってから「現地に一緒にボランティアに行かないか?」と彼が私に声をかけてくれたんですね。

――その時はもう、「ボランティア」という言葉には抵抗はなくなっていたんですね?

(ナメコ)抵抗はありませんでした。自発的にやるもの、という意味が腑に落ちていたので。ただ「分からないこと」が当時はたくさんあって、実際に自分が現地に行ってみなきゃ、ということは思っていました。

――どんな活動をされたんですか?

(ナメコ)岩手県の大槌町で、自衛隊が作った仮設のお風呂の燃料調達やお風呂掃除などをしました。
お湯を沸かすための薪を倒壊したおうちからいただいてくる、っていう作業です。
悲嘆に暮れている人たちを目の前にして、おうちの木材をもらってくるっていうのはキツかったですね。

――そうですよね・・・。震災の一か月後に初めて現地を見て、どんな印象を持ちましたか?

(ナメコ)テレビ等では見ていましたが、「こんな場所まで被害があるのか!?」っていう印象でした。
「遠野のまごころネット」というボランティアセンターから活動場所に向かう道すがら、まだ海なんて全然見えないような山の中を走っているのに、川を逆流して来た水の被害で更地になっている場所ばっかりで。家から何からひっくり返っていて。
「ここって海から何キロあるわけ?」というショックがありました。「本当なんだ」って。

――テレビやネットでも見たけど、現実感がなかった。

(ナメコ)そうです。「これが本当なんだ」って思いました。

――テレビで見るのと現地で見るのとでは、違いますよね。

(ナメコ)やっぱりスケール感が違います。ボランティアの作業をしながら時間があったときに周囲を歩いてみたんです。すると、ふつうにおうちに飾ってあった写真とかが道に転がっているわけです。ショックでしたね。

(サチ)「何もない」

sachi-2-resize(サチ)わたしは、「気仙沼あそびーばー」(※5)の活動で12月のクリスマスに行きました。リカさんと一緒に。
※5: NPO法人 冒険あそび場 せんだい・みやぎネットワークの運営する、子どもの自主性を育くむための「遊び場」。

ワークショップでえり巻きを作る、という活動をしました。
でも、私たち大人が全部作っちゃダメなんです。子どもたちが手を入れて、「自分のモノ」っていう感覚を持ってもらう必要があって。

(リカ)「寄付」とか「あげる」とかいう形で渡してしまうと、子どもたちが物を大事にしなくなってしまうんです。

(サチ)「捨てても、またすぐに次の物が来るし。」という感覚になってしまう。だから「ワークショップ」という形式にしました。

――子どもたちはどんな様子でした?

(サチ)「(言葉が)なまってる」とか言われたりしました(笑)。
「いつ帰るの?」ということは聞かれました。「ここに来る大人はすぐ帰ってしまう」ということを子どもたちは分かってるんです。

(リカ)子どもたちもボランティア慣れしてるんです。私たちは日帰りでした。

(サチ)夜行バスで行って朝着いて、活動してその日のうちに帰る、という日程でした。
行きで、(宮城県)南三陸町に寄ったんです。ビックリしました。「何もない・・・」って。
住宅地は、土台がかろうじて残っているけど上にあるはずの家がなくて。余りにも何もなくてビックリしました。

(リカ)「言葉にならない」

――リカさんはどう感じましたか?

rika-2-resize(リカ)私は2011年6月に「気仙沼あそびーばー」の見学に行きました。
子どもたちは、すごい甘えたがっている様子でした。わがままだったし、不安定な感じで。
「あそびーばー」の帰り、気仙沼の町を歩いたんです。建物があれば本来見えないはずの海が、すごい遠くからでも見えたり、小学校の校門が津波の力で曲がっていたり。
その校門の写真をとろうとしたら、「あそびーばー」のスタッフの人に、「ここはプライベートだから、写真はやめて。」って言われたんです。校庭の中に仮設住宅があったんですね。「校庭の中にプライベートがあるんだ!」って驚きました。
他にも電線とか道路のアスファルトとか、ぐちゃぐちゃになってて。震災から3か月たっていても、言葉にならないものがありました。

音楽を現地に届ける

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※出展:ビン笛合奏団Laマーズ公式ページ

――現地に音楽を届けられるようになったのはいつごろだったんですか?

(ナメコ)2012年11月に、現地での最初のコンサートをやりました。場所は南三陸でした。

(リカ)2012年ごろから、インターネットで「音楽」「ボランティア」などのキーワードで検索をしていました。
すると、「音楽をやってくれる人、募集!」という団体(※6)を見付けたんです。
※6: NPO法人バタフライ・エフェクト(現フェローズ・ウィル)。

(リカ)書いてあった番号に電話をしたら、団体の人がコンサートを聴きにきてくれました。それで話が進んでいったんです。
その団体のコンセプトと、私たちの活動がピッタリ合ってる気がしました。
大きな花火をバンバン打つようなイベントではなくて、線香花火をチカチカと照らし続けるような活動。そういうコンセプトだったんです。

(リカ)南三陸には当時、仮設住宅が52箇所くらいありました。
52箇所全部を回るのは無理かもしれないので、これまでボランティアがほどんど入っていないような仮設住宅にも行こうと話していました。
精神的、または身体的な理由で、家から出られない方もいたんですね。でも、音楽なら家から出られなくても聞こえるから。

(ナメコ)コンサートをやる前に、住宅の周りを練り歩きながら告知して回ったんです。

(リカ)「音楽をやりますよ!」って。それは、すごく良かったって言われました。

――コンサートをやってみてどんな反応でしたか?

(リカ)参加型コンサートにして、びんを一緒に吹いたんですが、それはそれは夢中で吹いてくれました。童謡に合わせて歌が聞こえたり、酒のびんを見て盛り上がったり。東北の方は観察眼も細かいですね。民謡「大漁唄い込み」は大いに盛り上がりました。

――その後、現地でのコンサートは何回やったんですか?

(リカ)2012年11月の後、2013年3月、その年の8月、2014年、2015年、合わせて5回です。

原子力発電に対する意識の変化

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※出展:photo AC

――震災以降、原発に対する意識は何か変わりましたか?

(ナメコ)申し訳ないんですが、震災の前は「電気はどこで作られているのか」ということに興味がありませんでした。
どちらかというと電気を多く使うタイプの生活をしていたし(笑)。
電気をより多く必要としている人間だったから、東北の原発で作られた電気を大量に使っていた、という事実を知ってしまった時に「ヤバイ」と思いました。それからは色々と勉強するようになりましたね。
将来的には「オフグリッド」(※7)をしたいと思っています。
スタンスが変わったというか、「やらなきゃいけないな」って気持ちになりました。
※7:電力会社の電力網(=グリッド)から外れた生活。自家発電・省電力等で電力をまかなう暮らし。

――私も、電気に対しては興味すらありませんでしたね。

(ナメコ)「東電」っていう会社名を言われても実感がありませんでした。確かに電気は契約したけど、電気の会社って「東電」っていう名前なの?くらいの認識(笑)。

――サチさんは原発についてはどうでしたか?

(サチ)私は、劇団時代の知り合いで原発反対派の人がいたので、チェルノブイリの話とかは馴染みがありました。
でも普通の生活を送る中でその意識は埋もれてしまって、忘れていましたね。忌野清志郎のレコード(※8)も車の中で友達みんなと一緒に歌ってたり、「東京に原発を」(※9)という本も読んでいたんですけど。
震災当時はすぐに「ヤバイ!」って思いました。絶対に外出たらマズイ、とか。危機感ばっかりありました。
※8:忌野清志郎さんのバンド「RCサクセション」による、「サマータイム・ブルース」という原発に対する問題提起の歌。
※9:広瀬隆氏による原発への警鐘としての著書。

――知識は以前からかなりあったんですね?

(サチ)知識はあったんですけど、結局それをいかせずにずーっと来てましたね。

保養合宿「手のひらキャンプ」

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※出展:ビン笛つながりプロジェクト公式ページ

――「保養合宿」を開催した経緯を教えてもらえますか?

(ナメコ)まず、「保養」っていう言葉自体の理解は大丈夫ですか?

――線量の高い場所から一時的に避難して、っていうことですよね?

(ナメコ)そうです。それによって内部被ばくの影響を低減し、ストレスからのリフレッシュができるんです。
2014年に「保養合宿」を企画している団体があって、そこに「参加してほしい」っていう声が私たちに掛かったんです。

(リカ)福島県の浪江町出身で、東京都北区に避難した人がいたんです。その人が「新婦人北支部」の人に企画を持ちかけたのがきっかけで、保養プロジェクトが立ち上がりました。

(ナメコ)「浪江っこ☆のびのび支援プロジェクト」っていうんですけど。そのエンタメ班として参加したんです。

(サチ)「レクリエーション係」という位置づけです。

(リカ)「ビン笛つながりプロジェクト」からは6人が参加しました。

(ナメコ)「浪江っこ☆のびのび支援プロジェクト」自体は「新婦人北支部」が主体になって開催したんですが、私たちは音楽、お化け屋敷、ドラム缶風呂、キャンプファイヤーなどを担当しました。
その帰り道で「コレ、うちらでやったらどうだろう?」という話が誰からともなく出て。

(リカ)自分たちでやりたくなっちゃったんです。イチから主催してみよう、って。

(ナメコ)今回はエンタメ班だけじゃなくて、食事、送迎、全てを自分たちでやろうってことにして。

(サチ)どこに泊まるか、ってことから決めなきゃいけないし。

――言い出しっぺは誰かいたんですか?

(サチ)帰り道、みんなで言ってました。

(ナメコ)誰からともなく。

(リカ)最終的に「やる!」って決めた人はいましたけど。
みんな仮の話で、「もし自分たちが次やるんだったら?」っていう話をしていて。
「やらないよ?でも、もしやったらさ!楽しそうだよね!」って。アイデアをすごい出してたんです。

――準備期間はどのくらいあったんですか?

(ナメコ)2015年1月の打合せで「やる」って決めて9月に実施しましたから、8か月くらいですね。

(リカ)それまで、放射能に関しての具体的なアクションって何もできていなかったんです。心は揉んでいましたけど。
「保養合宿」なら自分たちもできて、それを必要としている人たちもいる。それで具体的になっていったんです。

(サチ)東北在住のアーティストもプロジェクトに入っているので、直接福島の今の話を聞くと、現状がリアルに分かるんです。福島の子どもたちにも会っていましたから。

(リカ)「保養合宿」を欲している人たちがいて。「連続して21日間」って話、知ってます?

――いえ。どういうことでしょう?

(リカ)内部被ばくが半分に減るのが21日間という期間なんです。連続するのが無理でも、年間で21日間は保養に出かけようと決めて。お母さんたちが希望をつないでるんだから、私たちだってバックアップしていけるんじゃないか、って思ったんです。
でもまあ、チャレンジでしたね。

(ナメコ)そうだね。

(サチ)何も知らなかったから。

(ナメコ)でも、前の年に一通り経験はしたから「自分たちだったらもっとうまくできるんじゃないか?」って思えたんです。
実際自分たちで企画して、ネットで予約を受け付け始めたら、最初の日に大量に申込が来て。「閉じて!閉じて!」って、急いで締め切ったんです(笑)。
情報を探しているお母さんたちって若いから、まずはネットで検索するんですよ。

(リカ)お断りすることの方が多くて、申し訳なかったですね。

(ナメコ)断っても、「キャンセル出たら教えてください!」っていう人までいたんです。すっごい切実なんですよね。「こんなにニーズがあるんだ!」って思いました。

――肌感覚でいいんですけど、定員に対して何倍くらいのニーズがあったか分かります?

(リカ)3倍以上だと思います。

(サチ)打ち切っちゃったからね。

(ナメコ)打ち切りました、って書いてあるのに7月・8月の間(キャンプの開催は9月)は問合せが来たから、3倍と言わず5倍くらいはあったかもしれません。感覚ですけど。

――何のサイトで募集したんでしょうか?

(リカ)「保養サイト」に2箇所載せました。
ほよ~ん相談会保養情報局 – 子ども福島

「ビン笛つながりプロジェクト」の進め方

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※出展:ビン笛つながりプロジェクト公式ページ

――「ビン笛つながりプロジェクト」では物事をどうやって決めたり進めたりしているんですか?

(リカ)必ず「こうだよね?」という確認をしながら進めています。
そういう確認作業を「ビン笛つながりプロジェクト」ではみんなでやっています。確認作業はすごい大事だと思っています。
誰も何も決めてないんですよ、何も筋書きが無いんだけど、いちいち確認して、皆であーだこーだ言って。
じゃ次どっち行く?右?左?って。また一回進んだら、次どうする?って感じでその都度決めています。
プロジェクトの皆で一緒に歩いている感じがしています。

(ナメコ)「決めたからこれをやるんだ!」っていう人はいません。

(サチ)上から言われたから、とかはないですね。

(ナメコ)「これ、本当に進めていいんだっけ?」という確認は、わりとしょっちゅうしています。

(サチ)一回決めたけど、ちょっと確認いいかな?とか。

(リカ)「ビン笛つながりプロジェクトで活動してない自分を想像すると怖い。」ということを言っているメンバーもいるんですよ。
「福島の人たちは今どういう状況なんだろう?」って心配したり考えたりしていると悶々としてしまうんです、って。
でも、活動することで消化される部分があります。みんなとつながって、話すことでも消化されますし。
この活動はLaマーズだけではできませんね。

プロジェクトの目標

――「ビン笛つながりプロジェクト」には、何か目標はありますか?

(リカ)「東北応援の輪を拡げていく」というのが今の目標です。それと「続ける」ということですね。

(ナメコ)「終わり」は決めていません。

(リカ)プロジェクトのメンバーの中には、「10年はがんばる」っていう人もいれば、「福島の人たちが穏やかに暮らせるまでがんばる」という人もいて、みんなそれぞれモチベーションが違います。
目標にはあまりこだわっていませんが、「ビン笛つながりプロジェクト」では活動の三本柱を決めています。
1)南三陸町での交流コンサート。
2)福島に住む子どもたちを迎えての保養合宿。
3)東京での東北応援コンサート。
この3つです。

(サチ)途中下車だってOKだし、途中から入るのもOKです。

(リカ)途中休憩もね。

(サチ)私たちLaマーズは、多分びんを吹く限りは「ビン笛つながりプロジェクト」をやっていくと思います。

――ビン笛は生涯吹いていきますか?

(ナメコ)体力の限界が来ない限りは(笑

若者たちへのメッセージ

――この記事を読んでくださっている読者さんへのメッセージがあれば、いただけないでしょうか。
例えば、現地にまだ行ったことのない若い人たちだったり、昔のナメコさんやサチさんみたいに、ボランティアに対して抵抗のある人たちです。

(リカ)「感じてほしい、経験してほしい」

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(リカ)小学校・中学生・高校の子たちを相手にコンサートや講演をしていると、すごく伝わっている感じがするんです。一緒に考えて、一緒に活動して、経験して欲しい。そう思います。
あと、東京周辺の子どもたちには、福島に住んでいる子どもたちと交流して欲しいですね。
福島から避難してきている子どもたちとも怖がらず、対等に付き合って欲しいです。

震災は、「昔あったこと」じゃなくて「今あること」です。
とにかく一緒に感じていて欲しいです。
どんなことでもいいから、自分自身の感じ方でいいから。

現地に行く・行かないを含めて、色々な活動の仕方はあると思います。
とにかく触れてみて欲しい。
大人になったときに、「あの時経験したことって、もしかしてこういうことだったのかな?」って後で分かってくれればいいことなので。

今はよくわからなくても、とにかく大人と関わったり、直接いろんなものを見たり、感じたり。そういうことを増やしてほしい。
ビン笛つながりコンサートに来てもらうことでもいいと思います。東北の声を聴いて、自分で感じて欲しいです。

(ナメコ)「自分の目で見て、自分で情報収集して、選択してほしい」

――ナメコさんにも訊いていいですか?

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(ナメコ)若い人たちに向けて?

――そうですね、10代から20代の前半くらい。

(ナメコ)自分の息子みたいな世代ですよね。
そのくらいの年代なら、自分の選択で生きていくわけですよね。誰かに指図される必要もありませんし。
そういう意味では、「自分の目で見て、自分で情報収集して、選択してほしい」と思います。

例えば「電気の自由化」が今進んでいます。どういう選択肢を取るのか。その立ち位置ですね。
一つには、「電気料金が安くなるから」というものがあります。
他にも、「再生可能エネルギーとか自然エネルギーとかを選択したいから」という選択肢もあります。

選択に対して、自分がどんな立ち位置から選ぶのかということをちゃんと考えながら選んでもらいたいです。

「若者に向けて」と言うと上から目線っぽいんですけど、もっと上の年代の人たち、俺たちとかその上の世代の人たちにはもっと言いたいです。

――「もっとちゃんと考えて選んでくれよ」と?

(ナメコ)そうなんです。さっきリカが子どもの話をしていたけど、子どもが今おかしくなってると思うんです。いじめとか自殺とか。
きっと子どもたちは、大人になりたいと思ってないんですよね。
「あんなふうになりたい」というような目標になる大人がいないからだと思います。
「こういう気持ちで、こういう選択をした。」という風にちゃんと説明できる大人がいないんです。

――「大人がもっとしっかりしないといけない」と。

(ナメコ)そういうところにつながってきますよね。選挙ひとつとってもそうです。
行くのは当たり前の話で、それも義務だから行くんじゃなくて、「自分がこうしたいから」ということを調べていって欲しいです。情報収集も「テレビだけでいいんですか?」という話にもつながります。

――「選択する」こと。情報の幅を広げて収集する。

(ナメコ)そうです。選択の種類も、選択の理由も。
日本って八百万(やおよろず)の神で、いろんなものを神様だと思っている社会ですけど、「誰かに見られてる」とは最近はあまり思ってないんじゃないでしょうか。

(リカ)「神様が見てる」って思ってる人もいるんじゃない?

(ナメコ)そういう人はいいんだけど。

――電車の中で化粧する人とかは、「誰かに見られてる」とは思ってないかもしれませんね。(笑

(サチ)あれはオバチャン的には許せない(笑

(ナメコ)オリンピックのエンブレムの問題もあったじゃないですか?ああいうのを見たって、「国民を騙せればいいんでしょ?」みたいな印象を受けるんです。

――自分で自分を律してほしい、と。

(ナメコ)「自分の美意識」みたいなものが必要なんじゃないかなと思います。

(サチ)「つながり続けます!」

――サチさんからも、若者へのメッセージをいただいてもいいでしょうか。

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(サチ)この取材前に、震災直後に書きなぐっていたことを一回読み返してみたんです。
「神様や自然には勝てない」ということや、「あたしはつながり続けます!」ということを書いていました。

私には妹がいて、彼女は震災のとき宮崎県にいたんです。
宮崎はほとんど揺れてなくて、「そうなの?そんな大変なの?」ってことを言ってたんですね。
多分、離れていると想像できないんです。イメージができない。

私が思った「つながり」というものは、例えば南三陸町に何度も行くと、そこに親戚ができたかのような気持ちになるんです。
つながりがあると、その人のことを思い出しながら日々過ごすじゃないですか?現地のイメージが湧くんです。
まず、現地に好きな人を作ることが大事じゃないかって。つながっている人がいると無視できなくなるので。

(リカ)そうそう。本当にそう。

(サチ)現地に住んでいて、現地を知っている知り合いがいると、なかったことにはできません。
私の劇団時代の後輩が震災で亡くなった時も、初めて現地を見て「すごい津波があったんだ。すごいことがあったんだ」って思えました。
震災に知り合いが巻き込まれていたら、「何かあったみたいね」では済まされないんです。
現地に誰も知り合いがいなかったら、そこに知り合いを作る。そういう「つながっていく」ことが大事だと思いました。
少しでもゆかりのある人がいれば、知らんぷりはできません。
つながっている人がいっぱいいれば「悪いことできない!」って思うじゃない?
私も、結構全国に知り合いがいるから悪いことできない(笑)。

若い人たちには、そういう「つながり」をいっぱい作ってほしいです。
実際、行動しないと分からないことは多いです。見てるだけじゃ分かりません。

――ありがとうございました。

(インタビューここまで)

リーダーがいなくても自然とひろがり、物事が進んでいく「不思議なプロジェクト」

2015年の10月から、筆者も「ビン笛つながりプロジェクト」に関わっています。

筆者はミーティングの議事録係を担当していましたが(2016年現在、引っ越しのため一時休止中)、誰かが方針を決定する権限を持っているわけでもなく、活動内容を話し合いながら物事が決まっていくスタイルは、非常に独特なものと感じました。
東日本大震災の東北応援のために「自発的に動いて何かをしたい」という人にとっては、ピッタリの場ではないかと思います。

「ビン笛つながりプロジェクト」では、プロジェクトを手伝ってくれるメンバーを常時募集しています。
・月一回の打ち合わせ(東京都板橋区周辺)に参加してみたい
・南三陸町での活動を手伝いたい
・東京でのコンサートを手伝いたい
・その他、何か力を貸したい
このような気持ちがありましたら、以下のメールアドレスから「ビン笛つながりプロジェクト」に関わってみてはいかがでしょうか?

「ビン笛つながりプロジェクト」
web site:http://binbuetsunagari.strikingly.com
facebook:https://www.facebook.com/binbuetsunagari/
mail:team★la-mars.com
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(取材:新藤 秀樹、写真:横田 聡)