カタール航空はオンラインチェックインしてもカウンター手続きが必要

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借りているレンタルサーバが国外からのブログ投稿を拒否していたため、更新ができないという不測の事態に陥りました。
が、サーバの会社に問い合わせたところ、迅速な対応をしてくださり、更新ができるようになりました。
以下、5月14日の分です。

札幌さんにはお世話になりました

「ホテル翔」では、夜中に何度も目が覚めてしまいました。
季節的要因かもしれませんが、空調が暖房しか効かなかったようです。
窓を開けると涼しい空気が流れ込んできます。

昨日に引き続き、本日も冷たい雨が降っています。
傘を差して歩くのが困難なくらい、強い風も吹いています。
傘は引っ越しと同時に捨てるつもりでしたが、もう少し役に立ってもらいましょう。

朝食をコンビニで調達します。
チェックアウトの10時まで、ホテルの部屋でくつろぎます。

チェックアウト後、すすきののマクドナルドまで歩きます。
店内で1~2時間、読書します。
ダイコクドラッグが開店した頃を見計らって、お菓子(カロリーメイトとフラン)を購入します。
成田からフランクフルトまではカタール航空に乗りますが、機内食が出るかどうか不明のため、機内食が出なかった場合の非常食です。

空港行きのバスは、すすきのからは約70分の乗車時間です。
昼食(チゲ定食500円)を食べてからバスに乗ろうかと思いましたが、後でおなかが空きそうなので、空港についてからおにぎりでも買うことにします。
すすきのから新千歳空港行きのバスは、ニッカの大看板(交番もある)の南四条三の交差点から出ています。
すしざんまいの前にバス停があります。15分に1本くらい出ています。

バスの車内から札幌の町を見納めです。
一年二ヶ月の思い出が走馬灯のように蘇ってきますが、飛行機に乗る身としては縁起が悪いので、思考停止(居眠り)します。

居眠りしていたので、あっという間に空港に着きました。
昼食は、LAWSONでスープカレーとおにぎりと野菜ジュースを購入します。
バニラエアに乗って成田に向かいます。
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第3ターミナル

成田空港に到着後、第3ターミナルが完成していてびっくり。
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これで、飛行機からバスに乗らずに済みます。

第3ターミナルから第2ターミナルまでは、連絡バスが出ているようです。
しかし無性に歩きたくなってきたので、約15分ほど歩きます。
結構汗かいて後悔しました。成田は、30度近い暑さです。
これから24時間以上シャワーを浴びられない身なのに、何をやっているのでしょう。

カタール航空が飛び立つのは、5時間ほど先です。
読書したり、ネットしたりして、時間をつぶします。
贅沢かつ大胆な時間の使い方です。

カタール航空はオンラインチェックインしてもカウンター手続きが必要

出発時刻の二時間前になったので、手荷物検査に向かいます。
オンラインチェックインで印刷しておいた紙を係員さんに渡しますが、
「カタール航空は窓口での手続きが必要です」
と言われてしまいました。

結局、チェックインカウンターで手続きを行うことに。
正式なチケットをもらいます。
成田からドーハまでのチケットと、ドーハからフランクフルトまでのチケットの二枚です。
ドーハからのチケットには、搭乗ゲートの番号が書いてありません。
ドーハ到着後、掲示板で確認する必要があるそうです。
ところで100g以上の歯磨き粉は、機内持ち込み不可だったので、捨てました。

21時、機内に搭乗します。
紫色で薄暗く、なんだか一昔のディスコみたいです。
機内の設備はなかなか良いです。
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長距離便に乗るのは約5年ぶりなので、設備の進化に頭が付いていかないだけかもしれません。
私の座ったのは、通路側の席でした。オンラインチェックインの恩恵でしょうか。
横2席が空席なのもありがたいです。3席分使い放題です。

機内食も普通に出ました。
夜と朝の2回です。
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結構いけます。
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朝食には蕎麦まで。

食後は優雅に映画でも観ようかと思っていましたが、処理能力の足りないファミコンのように、画面停止やコマ落ちが頻発します。
さらに、前の座席の人が強烈なリクライニングを実施してきたため、画面が近すぎて観ていられません。
諦めて寝ることにします。

起きてまたびっくり。
後ろの座席の人が、座席の隙間から足を出してきています。
足が臭くなかったのがせめてもの救いでした。